金印史

 

金印(きんいん)とは金でつくられた印鑑のことで、昔の東アジアの冊封体制の元では、皇帝が諸国の王を臣下と認める証しとして、その定められた地位に応じて玉印・金印・銅印などが与えられる印綬とういう習慣がありました。日本では、福岡県福岡市東区の志賀島で発見された「漢委奴国王印」が最も有名で、国宝に指定され福岡市博物館に収蔵されています。日本では金印というとこの「漢委奴国王印」のことを指すことがほとんどです。

 

この「漢委奴国王印」は印面一辺2.3cm、鈕(ちゅう、「つまみ」)を除く高さ0.8cm、重さ108.7g。鈕は蛇鈕。3行にわけて篆書で『漢委奴國王』と刻されており、「委」は「倭」即ち倭国と解され「漢の倭(委)の奴(な)の国王」と訓じるのが通説とされています。この金印を発見したのは甚兵衛という地元の百姓で、田の耕作中に偶然発見したとされていますが、近年の研究では発見者は秀治・喜平という百姓で、甚兵衛はそのことを那珂郡奉行に提出した人物という説も有力です。文献によると、一巨石の下に三石周囲して匣の形をした中に存したといわれています。そして発見後、郡奉行から福岡藩へと渡り、儒学者亀井南冥によって『後漢書』に記された金印であると同定。その後は黒田家に伝えられ、1978年に福岡市に寄贈されて、現在は福岡市博物館に保管・展示されています。

 

『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」に「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」という記述がああることから、後漢の光武帝が建武中元二年(57年)に奴国からの朝賀使へ(冊封のしるしとして)賜った印がこれに相当するとされています。このころの中国漢代の制度では冊封された周辺諸国のうちで王号を持つ者に対して、諸侯王が授けられるよりも一段低い金の印が授けられていました。

 

また、この金印は形式・発見の経緯に不自然な点があるとして、近世に偽造された偽物であるとの説もあるのですが、偽物説に対する反論もあり、そして1981年、中国江蘇省の甘泉2号墳で「廣陵王璽(こうりょうおうじ)」の金印が出土した。それは58年に光武帝第9子であり廣陵王であった劉荊に下賜されたものであり、字体が漢委奴国王印と似通っていることなどから、2つの金印は同じ工房で作られた可能性が高いとの結論が出ました。もしこれが真実だとすれば偽造説は完全に否定されることになるため、解明が待たれるところです。



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