印鑑の歴史

 

印鑑は紀元前5000年頃に古代メソポタミアで使われるようになったとされています。最初の印鑑は粘土板や封泥の上に押すスタンプ型が用いられていましたが、その後に粘土板の上で転がす円筒形の印鑑(円筒印鑑)が登場して、認証の道具の一つとして使われていたといわれています。また、紀元前3000年頃の古代エジプトでは、ヒエログリフが刻印されたスカラベ型印鑑が用いられていました。そして、それ以来、認証、封印、所有権の証明、権力の象徴などの目的で広く使われていったのです。

 

我が国、日本での印鑑の歴史は西暦57年ごろに遡ります。日本最初の印鑑は中国から日本に送られたとされ、1784年に発見された「漢委奴国王」の金印が最古のものとして有名でしょう。そして大化の改新の後、律令の制定とともに印鑑が使用されるようになります。この頃の、律令制度下では公文書の一面に公印が押されていたのですが次第に簡略化されるようになり、中世に至り花押に取って代わられていました。しかし、印鑑は近世以降次第に復活し、戦国時代の織田信長の「天下布武」の印などが有名ですし、明治時代には、印鑑登録制度などの実印の使用が法的に定められていきました。

 

印鑑とは「陰刻」と「陽刻」に区別されます。「陰刻」とは文字が印材に彫られ、捺印すると、印字が白抜きで現れる印鑑のことをいい、「陽刻」とは文字の周りが彫りぬかれ、捺印すると文字の部分に印肉によって現れる印鑑となります。現在では「陽刻」が一般的につかわれていますが、古くは、歴史上漢委奴国王印がそうであるように「陰刻」が一般的でした。その理由としては当時、印鑑が「封泥」に捺印するために使用されていたためと考えられます。「陰刻」の印を押すのは紙ではなく粘土であったことから、「陰刻」を文字が凸状になって現るといった使い方がされていたのです。「陽刻」が一般的になるのは紙が登場し、朱肉が普及してからということになります。なお、陰刻印鑑は印鑑登録出来ませんのでご注意を。

 

そして、近代日本の金融機関では預金通帳と登録した印鑑を照合することで口座取引を可能としていました。この仕組みを実現するために、預金通帳の表紙裏面に、登録に用いた印鑑の印影を転写した印鑑票(副印鑑)が貼付されており、銀行印の登録原票は口座開設店に保管され、登録印鑑の照合が出来るのはその店にのみ限られています。しかし、それでは少々不便だということもあり、通帳に副印鑑を貼付けることで、他の店でも印影の照合、そして口座取引が可能となったのです。ただし、印鑑と預金通帳があれば預金を引き出すことができるために、第三者による悪用を防ぐためには印鑑に用いた印鑑と通帳は別々に保管することが望ましいとされています。しかし、このようなセキュリティ面は強化されてきているとはいえ、最近では副印鑑をスキャナで読み取って預金払戻し請求書にカラープリンタで転写したり印影から印鑑を偽造するなどして、登録に用いた印鑑を所持せず他人の口座から預金を引き出す手口が現れ被害が後を絶たない事から、副印鑑の貼付を廃止して、代えて登録原票をデジタル情報として蓄積し、いずれの本支店でも参照できるようにして、口座取引を何処でも出来るようにする方法が一般的になってきています。

近代技術の発展と経済の成長で昔は考えられなかったパワーストーンの印鑑も、最近では多く見られるようになってきています。パワーストーンといえばやはりアクセサリー、それも女性が好んでつけるようなネックレスや指輪、ブレスレットなどを想像します。しかし、パワーストーンブレスレットなどと違いパワーストーン印鑑は男性の愛用者も多いようです。ブレスレットを既に持っている人は印鑑も持ってみると運が倍めぐってくるかもしれません。


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